つくば市マイラー
2018-01-15 18:10:06
八田氏の詳細については他にゆずりますが、いつまでも記憶に殘る人として特に臺南地區(qū)の人たちにとって評価されていることに感激します。公園もきれいに整備され、地元の憩いの場所になっています。一度は訪れてください。
すい02
2018-01-16 08:48:49
烏山頭水庫の入り口から150mほど歩いたところに、八田さんたちが暮らしていた民家を再現(xiàn)。入り口で水庫の入場券を提示すると広い敷地內に入ることができる。臺鉄善化駅からマイクロバスで30分弱。水庫まで行く路線ができて、行きやすくなった。
みんみんみん
2018-04-11 07:51:23
ダムを見學後、こちらも見學。4つの家が再現(xiàn)されています。ちょうど八田邸の公開日だったのでラッキーでした。昔の日本のものがいろいろとおかれていて、見ると懐かしい感じです。ダム見學と合わせて來るとよいと思います。私たちは、タクシーで案內してもらいました。(ダム?記念公園などを説明しながら回ってくれ、700臺灣ドルでした。)
良太
2018-01-23 06:27:29
日本が臺灣を統(tǒng)治していた時代、臺南周辺の嘉南平原は乾燥したり、海沿いの地域は塩害があったりして作物が非常に育てにくい土地でした。當時日本は臺灣の農業(yè)を振興する政策を進めており、広大な嘉南平原でも農業(yè)を行えるようにするためには水利灌漑を行うことが必要不可欠でした。嘉南平原に水を送るためのダム烏山頭水庫や水路嘉南大州を作るために赴任したのが日本人技師「八田與一」です。八田與一は日本ではあまり知られていないかもしれませんが日本人?臺灣人の分け隔てなく部下に接し、自分の仕事に誇りをもって臺灣のために盡くした人として現(xiàn)在も臺灣人に愛されています。八田の作った嘉南大州は萬里の長城の6倍にもなり、嘉南平原の農民全員がそのおかげで貧しさから抜け出すことができたそうです。烏山頭水庫は當時アジア最大のダムでした。アメリカやドイツから購入した重機や機関車も使ったとはいえ、100年近く前の日本人が臺灣のためにこんなに大きなダムを造ったかと思うと見た時は本當に感動しました。大東亜戦爭の時代日本が東南アジア諸國を統(tǒng)治していたことは事実で、そのことに対して良く思わない人もいるのも事実です。日本國內のメディアも日本は悪いことをした、過ちを繰り返すなと何度も何度も世論を煽りますが、真実はそんなに単純なものではないと思います。臺灣のためを思い、生涯を捧げた技師を稱えるために臺灣の人たちが作って下さった公園です。偉大な志を持って日本人が臺灣人のために何を作ったか、現(xiàn)地の人たちはそのことをどうとらえているのか、それを見るために今回私はここを訪問しましたが皆さんもぜひ現(xiàn)地に行き自分の目で確かめてみてほしいと思います。
taro65
2018-02-22 06:16:35
今回、知人に連れられて、訪問しました。ダムなので辺鄙なところは覚悟の上で、戦前に日本人が臺南に大きなダムを作った、いまでも命日に慰霊祭が行われるほど慕われている。程度の知識の持ち合わせでした。ダムの大きさや作り方は専門外なのでどの程度の評価なのか全くわかりません(勿論説明文を読んで理解することはできました)が、業(yè)績に対しての臺灣の人たちの評価には驚かされるとともに、今でも顕彰、慰霊をしてくれる臺南の人々には、素直に感謝の気持ちを持ちました。丁度、小學生の遠足(課外授業(yè)?)に出會いましたが、再建された居宅や八田技師の銅像と一緒に寫真を撮り、教師から説明を受ける小學生の姿を見て、思わず涙です。いつまでも戦後賠償しか言わないタカリ根性のかの國とは、ここまで教育が違うのかと、考えさせられる光景でもありました。當時の目的が、日本本土への食糧供給ということはあるにせよ、臺南の地で大掛かりな事業(yè)を成功させ今でも地元の農業(yè)振興に多大な功績を遺した八田技師とこの事業(yè)はもっと多くの日本人が知らなくてはならない歴史の一ページであることは言うまでもありません。場所柄、歩くことが前提です。歩行に支障のある方にはつらいですが、気候の良い時期がおすすめ。夏は暑いですよ。